ご挨拶
この度、令和4年に保春院さまの400年遠忌を迎えての法要をイメージするにあたり、保春院さまはどのような方だったのかを再度紐解く機会に巡り会いました。私は幼い頃から保春院前丁という住所のなかで育ち、政宗公のご両親のお位牌が安置されていることは当たり前のことで疑問を持つこともありませんでした。しかし、なぜ保春院には輝宗公のお位牌が安置されているのか?なぜ政宗公は保春院さま没後5年を経てから寺院の建立を発願したのか?この2点の正式な記録は残っていないまま今日に至り保春院はこの地に建立され、もう少しで400年を迎えようとしています。
伊達政宗公は全国的にも人気がある武将であり、大河ドラマや小説、漫画等種々の脚本のもとに私を含め皆様のイメージがあると思います。しかし歴史物というのは事実そのままに描かれている部分とアレンジされている部分があります。この機会に保春院さまはどのような方だったのか?という観点から人物像を紐解き、現存していない肖像をイメージしたご尊像を製作し後世に伝える必要があると考え、このプロジェクトに辿り着きました。
この機会に東北の中枢都市に発展した仙台の礎を築いた政宗公を産み育てた保春院さまと縁を繋いでいただき、今後の皆様の発展に少しでも寄与させていただきたくご案内させていただきますとともにご協力をお願いいたします。
少林山 保春院
二十世住職 三浦真人
ご尊像を製作する理由
保春院さまへの参拝として当山に墓参へ来られる方もいらっしゃいます。こちらにはお位牌が安置されていますと案内をしても、残念そうにされる方や手を合わす事のない方がおられ、いつかご尊像を製作する必要があるのではないかと以前から考えていました。丁度令和4年に400年遠忌を迎えるにあたり数年前より調査を開始し製作の準備を整えていましたが、折角製作するなら多くの方と御縁を結ぶために御浄財をいただいた方が良いとのご意見をいただき、現在の伊達家御当主である𣳾宗さまはじめ関係の方々に相談をしましたところ、この企画で実行に移すべきとの賛同をいただきました。そこで令和5年に迎える保春院さま没後400年に合わせて開眼法要を執行する予定を計画し製作する事になりました。
開眼法要までの予定
令和3年6月 御浄財受付開始
8月14日 鑿入れ式(不特定多数の方に鑿を入れていただきます)
令和4年7月16日 400年遠忌法要
令和5年10月8日 開眼法要
その他、多くの方に伊達政宗公の人物像を深掘りしていただき身近に感じるエピソード等を知ることで、畏敬の念を持ちつつも愛される人物であり続ける事を願うとともに、その政宗公の生母保春院さまとも御縁を繋いでいただきたく思い、元仙台市博物館館長 佐藤憲一氏のご講演はじめ企画をご用意いたしますので、ご参加等もよろしくお願いいたします。
保春院とは
少林山保春院は伊達政宗公が母親の供養をするために建立したお寺で、山号の少林山は若林を意味し政宗公の居城であった若林城の北(現在の仙台市若林区保春院前丁)に所在します。名前は法名の保春院殿花窓久栄尼大姉から由来し、政宗公の最晩年に完成しました。初代の住職は政宗公の葬儀で導師をつとめています。
参考
治家記録等からの年表
1590年04月07日 小次郎君を斬る
1591年09月23日 米沢から岩出山に移る
1600年12月24日 仙台城縄張りを始める
1602年05月18日 仙台城完成
1604年08月15日 瑞巌寺縄張り
1622年09月 保春院さま仙台に移る
1623年07月16日 保春院さま逝去 覚範寺(輝宗公菩提寺)に埋葬される
1628年 保春院建立を指示
1629年07月17日 七年忌法要執行、假屋を建てる
1636年04月18日 保春院完成
05月24日 政宗公逝去